正月明けの年中行事といえば七草粥。
でもその七草粥、正確にはいつ食べるものなのでしょうか?
また、いつから始まった行事なのでしょうか?
そんな七草粥の、由来や作り方をまとめてみました。
七草粥を食べる日とその理由
七草粥は節句の1つ「人日(じんじつ)」の行事で、1月7日の朝に食べます。
正月の松飾りを外す、「松の内」と日にちが同じですが、直接の関係はありません。
もともと1年の無病息災や、五穀豊穣を祈るために行われていました。
それが時代とともに変わっていき、正月にごちそうを食べた胃腸を休ませるため、といった理由がつくようになりました。
七草のうちわけ
七草粥は「春の七草」を入れて作りますが、以下がその七草です。
- セリ
- ナズナ(ぺんぺん草)
- ゴギョウ(ハハコグサ)
- ハコベラ(ハコベ)
- ホトケノザ(今のコオニタビラコ)
- スズナ(カブ)
- スズシロ(大根)
少し種類が多いですが、
セリ・ナズナ(五)
ゴギョウ・ハコベラ(七)
ホトケノザ(五)
スズナ・スズシロ(七)
と、五・七・五・七のリズムに乗せると
覚えやすくなります。
この七草は、古くから薬草にも使われていたもので、ビタミンやミネラルなどが豊富です。
七草粥の由来
もともとは中国から
そんな七草粥ですが、由来は中国にあります。
古代の中国では、1月1日~6日までが家畜の運勢を占う日、1月7日が人の運勢を占う日、とされていました。
その最終日である1月7日に一年の無病息災を祈り、「七種菜羹」(ななしゅのさいかん)と呼ばれる野菜の汁ものを食べました。
日本に伝わりの節句一つになる
その習慣が中国から、奈良時代の日本に伝わりました。
はじめのころは7種の草ではなく、米・アワ・キビなど7種の穀物でした。
それが、年初の雪間の若菜を摘む、「若菜摘み」という日本の習慣と組み合わさり、「七草粥」へと変わっていきました。
その後、数百年は貴族の間のみの習慣でしたが、江戸時代に「五節句」という公式な行事が定められ民衆に広がりました。
「五節句」とは、ひなまつりの「上巳(じょうし)の節句」、こどもの日の「端午(たんご)の節句」など、一年の5つの節句を指します。
そのうちの1月7日の節句が、七草粥を食べる「人日(じんじつ)の節句」
です。
五節句は明治に入って廃止されましたが、それぞれの習慣は民間に残りました。
七草粥の作り方
さて、七草粥の作り方です。
用意するもの
まず、用意するものは、春の七草、米1合、水1000ml、塩こさじ1杯です。
七草はそれぞれ買い集めると大変ですが、いまは、新年に入るとスーパーで、七草粥セットや春の七草パックなどが売り出されます。
確実に手に入れるには、前日の6日までに、お店に行った方がいいでしょう。
調理のしかた
つぎに調理のしかたです。
まず、鍋や炊飯器(あるならおかゆモード)でおかゆを炊きます。
その待ち時間に七草の準備をします。
スズナ(カブ)とスズシロ(大根)の実は小さく切り、塩を入れたお湯で数分ゆでて、柔らかくしておきます。
他の葉菜も、お湯でさっとゆで、水気をしぼって細かく刻んでおきます。
おかゆができあがったら、七草をまぜて少し温めれば七草粥のできあがりです。
うす味すぎたら、好みにより、しょう油や味噌を加えるのもいいでしょう。
まとめ
かなり古い由来のある七草粥。
ご家庭でも手軽につくれるので、もし作ったことがなければ、どうぞ試してみてください。